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モノを考えるという事 [意見や感想]

 私は物事を考えるのが好きだ。別に妄想とかではなく、社会一般であるニュースで取り上げられる問題や、他人と討論したりすることが。なぜこういった事を急に書いたかと言うと、大学の周りの人たちが何も考えて無いような気がしてきたからだったりします。私の視点が悪いのかもしれないのでハッキリとは断言出来ませんが、最近起ったニュースを全く知らなかったり、一般常識に欠けていたりと(私も不十分)物事を考えてないんじゃないか?といったふうにです。

 あと人の話を聞いてコロリと意見主張を変える輩もなんだかなぁと感じていたりします。人の話を聞いて自分の意見にするのは構わないと思いますし、むしろ頑固に凝り固まってる人よりは良いと思いますが、果たしてそのコロコロ変える奴に「自己」があるのかな?と。まあこういった事も「考える」の一つなのですが、話をしてて全く通じないとその時点で「会話は成り立たなくなる」、この時に相手側が学ぶ意識があれば良いのですが、相手側は「そんな事を知ってるほうがおかしい」と極稀に開き直ってくる。私も若干その傾向があると思ってますし、そこが自分の欠点の一つと見ています。これはあとからその物事を考え直すといった行動から行っているのですが、本当に開き直る奴だと「冷静に考え直すことをしない」これが私にとって一番話が通じなく厳しい相手になる。無論自分に非が有ったとしても「こいつだけには認めたくない」という他人にはほめられない心が存在し、むげに自分を守ってしまう訳ですがこれは仕方が無い事だなとその場では割り切って会話してます。ただ後で冷静に見直してみる事が大切なのですが、まあ遠い理想の域なのかなと自分でも反省中だったりします。しかし、ここで一方的な討論になった時に「止め」を刺さないで「逃げ道を相手に作くる」と言うのを日々考えていたりします。相手の不利な点を徹底的に突いて、相手の逃げ場を無くしてしまうと「恨み」しか残らないと考えているからで、これは何処だかの本から着ていたりしますが(本の名前忘れた)、相手に考え直してもらうという状況等を作るにはこれが一番良いと私が感じているからです。まあ実際に実行出来てるかは微妙ですが一応心がけてます。

 こういう風に色々と考えていると「お前はそんな事も知らないのか?」と感じていた相手に対して、自分を大学教授から「お前はこんな事も知らんのか」と難しい知識を吹っかけられて「こいつは何を偉そうにしてるんだ?」と感じる心と置き換える事はできないか?と考えるようになってきたのです。

 しかしこうやって考えすぎていると答えというものに困ってきています。しかし元より答えなど無いモノ。自分で言える程のモノでは無いすが「考える事を考えるというのは非常に面白いテーマだな」と感じています。ただ残念なのはこの話題についてきてくれる人が周りに余り居ない事なんですよね。しかし考える事によって自分が変わっていっている気がします。これはたぶん良い事なんだと感じつつ、マトメの無い私の「考え」を乗せました。


2006-12-11 23:32  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

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